iCARE、資金調達時119億円から取得価格ベース約50億円へ ── オムロン傘下までの14年
iCAREの推定評価額は、2022年の資金調達価格からの逆算で約119億円。2025年のオムロンによる全株取得の契約価格を基礎にすると約50億円。二つの物差しと登記の分配条項から、Carely運営元の14年と出口の実像を解剖する。

この記事のポイント
- 登記の種類株式から復元した株式での調達は累計約35.7億円。D種の復元値15.00億円は公表の15億円と符合し、B種・C種も公表額と重なる
- 2022年シリーズE時点の全株式数ベースの推定評価額は約119億円。一方、オムロンの開示(保有持分の公正価値15.81億円)から換算した2025年の価格水準は約48〜53億円
- 役員向け新株予約権の行使価額(普通株式の値段の目安)は2022年の683円から2024年には439円へ下がっていた
1. ひとつの会社に付いた、二つの値札
株式会社iCAREは、クラウド健康管理サービス「Carely(ケアリィ)」を700社以上に提供する2011年設立のスタートアップだ。2025年10月、オムロンの完全子会社になった。
この会社には、時期の異なる二つの値札が確認できる。ひとつは2022年2月、シリーズEの資金調達時点のもの。登記に残る優先株式(投資家向けに、分配などの優先権を付けた株式)の条件から計算すると、会社全体の推定評価額は 約119億円 になる。もうひとつは2025年、オムロンが全株式を買い取ったときのもの。オムロン自身の開示から換算すると 約50億円 になる。
二つは、資金調達の価格と買収の契約価格という異なる物差しの数字で、単純に「企業価値が半減した」とは言えない(検証は後述)。それでも、株式に付けられた価格水準が下がったこと自体は、買い手であるオムロンの会計にも評価損という形で残った。その間に何があったのかは、決算公告と登記がかなりの精度で記録している。14年分を順に並べる。
2. 医師がつくったSaaS
創業者で現・代表取締役CEOの山田洋太氏は医師だ。金沢大学医学部を出て沖縄・久米島で離島医療に従事し、慶應義塾大学でMBAを取得。心療内科・総合内科の臨床を続けながら2011年6月にiCAREを設立した、という経歴が各種インタビューで語られている(日本の人事部、創業手帳など)。クラウド健康管理サービス「Carely」のローンチは2016年。企業の人事労務と産業医・保健師をつなぎ、健康診断・ストレスチェック・面談記録を一元管理するSaaSに、産業保健の専門職サービスを組み合わせる事業モデルだ。
「働くひとの健康を世界中に創る」という同社のパーパスについて、山田氏は2024年8月、オムロンとの資本業務提携を報告する自身のnoteをこう結んでいる。
「働くひとの健康を世界中に創る」パーパスを胸に、スタートラインにたった気持ち
── 山田洋太氏 「オムロン社との資本業務提携に関して」(note、2024年8月6日)
設立から13年あまり、全株式を手放す1年前の言葉だ。この時点で同社が何を持ち、何を抱えていたのかを、数字の側から見ていく。
3. 決算公告が語る前半戦 ── 債務超過から純資産14.6億円まで
Compalyzeで確認できた同社の決算公告は8期分ある。最初の1枚、2019年3月期はかなり際どい。当期純損失(税金などを反映した最終的な損益のマイナス)1.25億円、純資産は ▲545万円 ── 負債が資産を上回る債務超過だった。Carelyのローンチから3年、SaaSの先行投資が資本を食い潰しかけたタイミングの帳簿だ。

ここから同社は決算期を3月末から7月末へ変更する。切り替えを挟む2期のうち、間の1期(2020年3月期とみられる)の公告は確認できていない ── 公告の剰余金の動きからは、この期に約2.15億円の純損失があったと推計できる。確認できる次の公告は2020年7月期の▲0.87億円。この間に資金調達で純資産は2.15億円まで戻り、以降は調達と赤字拡大が並走する。純損失は2021年7月期▲6.42億円、2022年7月期▲8.40億円、2023年7月期▲8.52億円。総資産は2022年7月期の24.4億円、純資産は同期の14.6億円がピークで、以降は赤字が資本を削っていく。
2024年7月期は▲4.17億円、2025年7月期は▲0.64億円と、赤字幅は2年でピークの1割以下まで縮んだ。ただし2025年7月末時点の累積損失(その他利益剰余金のマイナス)は ▲28.9億円。これとは別に2021年7月期までに約4.9億円の欠損がすでに資本剰余金で埋められた形跡が剰余金の動きから読み取れ、未収録の期の損失も合わせれば、累計の損失は株式で集めた約35.7億円(後述)にほぼ見合う規模になる。累積損失は調達資金の使途と直接対応する数字ではないが、上場で回収するにはもう一段の成長曲線が要る残高だったことは動かない。
4. 登記から復元する資金調達の全記録
同社の資金調達は、登記のA種からE種までの優先株式に刻まれている。登記に記載された1株あたりの優先分配額を発行価額とみなして掛け算すると、各ラウンドの株式調達額が復元できる。
| 種類 | 1株あたり | 株数 | 試算した調達額 | 公表との突合 |
|---|---|---|---|---|
| A種 | 177円 | 563,000株 | 約1.00億円 | (公表確認できず) |
| B種 | 533円 | 283,000株 | 約1.51億円 | 2018年1月「総額1.5億円」と符合 |
| C種 | 1,133円 | 460,000株 | 約5.21億円 | 2019年6月「総額5.2億円」と符合 |
| D種 | 1,687円 | 889,153株 | 15.00億円 | 2020年12月公表の「15億円」と符合 |
| E種 | 3,060円 | 424,962株 | 13.00億円 | 2022年2月の公表は「総額19億円」(下記) |
| 合計 | ── | 2,620,115株 | 約35.72億円 |

D種は1,687円×889,153株=1,500,001,111円と、15億円ちょうどからの差が1,111円しかない。E種も3,060円×424,962株=1,300,383,720円で13.00億円に着地する。狙って作らなければ出ない丸さだ。
E種だけ公表額(19億円)と差がある。プレスリリースはこの19億円を「第三者割当増資および複数の金融機関からの融資」の合計としており、株式で入ったのは登記から読める13.00億円ということになる。融資側の全容は公開資料からは分からないが、登記には手がかりが1本残っている。新株予約権(あらかじめ決めた値段で株式を取得できる権利)のうち2本が、株式会社新生銀行(現・SBI新生銀行)との2021年12月付の金銭消費貸借契約を行使の原資にできる設計になっているのだ。対象はD2種優先株式72,000株分・行使価額2,500円。融資と株式取得の権利を組み合わせた、いわゆるベンチャーデットの形で、判明する範囲の潜在株式は1.8億円分にあたる。
投資家の顔ぶれも、各回のプレスリリースに残っている。2018年の1.5億円はBeyond Next Ventures・インキュベイトファンド・みずほキャピタル・SMBCベンチャーキャピタルの各ファンドを引受先とする第三者割当増資。2019年の5.2億円はグローバル・ブレインがリード。2020年のシリーズD 15億円は官民ファンド系のJIC Venture Growth Investmentsをリードに、三井住友海上キャピタルやSalesforce Venturesが参加した。そして2022年のシリーズEでは、最初期からのインキュベイトファンドがリードに立った。後編で見る2025年9月の役員一斉退任は、こうした投資家側が持っていた取締役会の席が一度に返上された瞬間にあたる。
なお、決算公告で確認できる資本金は、2019年3月期の1.40億円から2020年7月期に1億円となり、以降直近まで動いていない。決算公告を見ると、払込の大半は資本金でなく資本剰余金(株主の払込額のうち資本金にしなかった部分など)側に置かれ、2025年7月末時点で29.1億円が積み上がっていた。資本金の増減は純資産の中での振り替えにすぎず会社の資金は動かないが、登記の資本金の額だけで会社の規模や調達力を測ると大きく読み違える会社だと言える。
5. 683円から439円へ ── 下がっていった普通株式の値段
登記にはもうひとつ、価格の時系列が残っている。役員・従業員向け新株予約権の行使価額だ。税制優遇のある設計では発行時の普通株式の評価額以上に設定されるのが通例で、その会社の「普通株式の値段」の目安として読める。

| 発行時期 | 行使価額 |
|---|---|
| 2020年6月 | 369円 |
| 2021年10月 | 456円 |
| 2022年2月 | 683円(ピーク) |
| 2022年11月 | 586円 |
| 2023年11月 | 605円 |
| 2024年11月 | 439円 |
(いずれも発行時の当初値。一部はのちに株価調整で数円単位の変更が入っている。)
シリーズEと同じ2022年2月に付けた683円を頂点に、以降これを超える設定は現れず、オムロンの30%取得(後述)より後の2024年11月には、ピーク比36%低い439円になった。優先株式の3,060円と普通株式の439〜683円の間に大きな開きがあるのは、優先株式に分配の優先権が付いている分だけ高く値付けされるためで、それ自体は珍しくない。税制や発行条件にも左右される数字であり企業価値そのものではないが、2022年の683円を最後にそれを超える設定が現れなかったことは、登記に残る事実だ。
6. 推定評価額 ── 2022年の119億円
シリーズE時点の会社全体の値段を、登記ベースで試算する。E種の1株3,060円を、その時点の全株式数(発行済株式に、当時存続していた新株予約権の対象株式を加えた3,882,755株)に掛けると、約119億円 になる。同社の推定評価額(上場企業の時価総額に相当)のスナップショットとしては、これが登記から出せる最後の1枚だ。
このときの株主構成も登記から輪郭が分かる。発行済3,745,115株のうち優先株式が2,620,115株 ── ちょうど70.0% を投資家側の優先株式が占め、普通株式(創業者側など)は30.0%。ここまでに35.7億円を集めた資本政策の、これが到達点の形だった。
7. オムロンは二段階で買った ── 開示に残った価格の痕跡
オムロンの登場は2024年7月3日。iCAREの株式30%を「既存のVC株主から」取得し、資本業務提携を結んだと発表した。新株の引き受けではなく、投資家の持分を買い取る形で入ってきたことが、この案件の性格をよく表している。同年10月末にはオムロン執行役員が社外取締役としてiCAREの取締役会に入り、2025年9月18日、残る全株式の取得(完全子会社化)が発表された。完了は2025年10月1日。取得額はどちらの段階でも公表されていない。
ただし、価格の水準はオムロン自身の法定開示に痕跡が残った。2025年11月提出の半期報告書には、保有していたiCARE株式(30%)を公正価値 15.81億円 へ再評価し、9.79億円の評価損を計上したとの注記がある。この公正価値は完全子会社化の株式譲渡契約における取得価額を基礎に算定されたもので、評価損は通期の有価証券報告書で9.69億円に確定した。
ここから二つの換算ができる。第一に、全株式の価格水準。公表された「30%」は新株予約権を含む完全希薄化後の比率で、発行済株式に対する比率は32.8%と注記されている。15.81億円をどちらで割り戻すかで約48億〜53億円の幅が出るため、丸めて 約50億円 とみる。2022年の119億円とは算定の前提が異なる(末尾の計算方法参照)が、前提を揃えても2倍前後の開きは残る。全員が同じ単価で売ったと仮定した均等換算では、1株あたり約1,300円 ── E種優先株式の3,060円の半分以下、直近の新株予約権行使価額439円の約3倍という位置だ。第二に、評価損の大きさそのものが情報になっている。半期報告書の数字では、保有持分の帳簿価額(約25.6億円)が完全子会社化の契約価格を基礎とする公正価値まで約4割切り下げられた計算になる。2024年の取得原価は開示されていないが、それが2025年の全株取得の価格水準より相応に高かったことは、この切り下げの存在から読み取れる。
ただし、この「半分以下」は投資家の手取りの姿ではない。登記にはもう一歩踏み込む材料が残っている ── 優先株式に付いていた、残った財産の分配の順序だ。iCAREの優先株式は、優先分配を受けたあと残余の分配にも1対1で参加する設計(いわゆる参加型)だった。仮にM&Aの対価約50億円がこの順序どおりに配分されたなら、まずE種13.0億円→D種15.0億円→C種5.2億円→A種・B種2.5億円の計35.7億円が優先株主に先に渡り、残る約14億円を全株式374.5万株が分け合う。1株あたりの上乗せは約380円。E種投資家の手取りは1株約3,440円 ── 投資単価の約1.1倍で、「半値で投げ売り」ではなく「ほぼ元本を回収した」姿になる。普通株式(創業者側など)には合計4億円強が残る計算だ。50億という出口が、14年の調達累計35.7億円をわずかに上回っていることの意味はここにある。
これはあくまで、対価の配分が登記の分配条項どおりに行われたと仮定した試算だ。実際の配分を定める株主間の契約は公開されておらず、2024年に30%を売った投資家は、これとは別の(帳簿価額から逆算するとより高い水準の)価格で先に売却している。それでも「50億は誰にどう分けられたのか」という問いに、登記の条項は輪郭を与えてくれる。

これを「安値で手放した」と読むか、「赤字をピークの1割以下まで削った上で、単独では届かない次の段階への切符に替えた」と読むかは分かれるだろう。どちらの読みも公開資料からの試算に立つもので、実際の取得価額は公表されていない。確かなのは、ディールの形までだ。オムロンはいきなり全部を買わなかった ── まず投資家の持分30%を買って取締役1名を送り、1年あまり一緒に走ってから、残る全株を取得した。評価がピークから下がった局面で、投資家側は2024年の売却から段階的に持分を現金化し、創業者の山田氏はCEOとして残り、事業と組織はそのままオムロンのヘルスケア戦略の中核部品になった。オムロンは2023年に医療データのJMDCを連結子会社化しており、iCAREの「企業経由の従業員健康データ」はその構想の欠けていたピースにあたる。
14年の間に集めた約35.7億円と、積み上がった▲28.9億円の累積損失、そして前提の異なる二つの値札(2022年の試算119億円と、2025年の換算約50億円)。この帳簿がオムロン傘下でどう作り替えられたのかは、後編で扱う。子会社化の前後わずか1ヶ月あまりの間に、登記の上で起きたことは想像以上に多い。
計算方法(この記事固有のメモ)
- 各ラウンドの調達額は、登記(履歴事項全部証明書)に記載された各優先株式の1株あたり残余財産優先分配額を発行価額とみなして株数に乗じた。D種15.00億円・E種13.00億円・A種1.00億円が丸い金額で着地し、B種・C種はプレスリリースの公表額(1.5億円・5.2億円)と符合したため、この前提を採用した
- 推定評価額(2022年)は、E種3,060円×全株式数3,882,755株(発行済3,745,115株+当時存続の新株予約権 第4・5・6・7回の対象137,640株)=約118.8億円。第8回新株予約権(2022年2月28日発行)はラウンド公表日より後のため算入していない
- E種優先株式の発行日は、2024年9月の本店移転に伴う登記記録の移記により登記からは確定できない。「2022年2月」はプレスリリースの公表時点に基づく紐付けである。発行済株式数は移記時点(2024年9月)の記載を用いており、E種以降に株式発行がなかったことを前提とした試算になる
- 2025年の約50億円は、オムロンの半期報告書(2025年11月14日提出)注記の公正価値15.81億円を保有比率で単純に割り戻した値。公表の取得比率30%は完全希薄化後で、発行済株式に対する比率は32.8%(2024年7月3日リリース脚注)。割り戻し方により約48.2億〜52.7億円の幅が出る。1株あたり約1,300円は、発行済ベース・希薄化後ベースのどちらで計算しても約1,290〜1,300円になる。同注記の公正価値は「株式譲渡契約における取得価額を基礎」とレベル3で算定されたもので、開示上の区分は「関連会社に対する投資及び貸付金」(株式以外の債権を含む可能性が残る)。支配プレミアム等の調整や新株予約権の対価の含み方は開示されていない。2022年の試算(全株式数ベース)とは基準が完全には揃わないが、2022年を発行済株式のみで計算しても約114.6億円であり、開きは基準差では説明できない
- 保有持分の帳簿価額の逆算は、半期報告書の組(公正価値15.81億円+評価損9.79億円=約25.6億円)による(通期の有価証券報告書では評価損は9.69億円で確定)。これを単純に割り戻すと約78〜85億円になるが、持分法の帳簿価額は取得後の損益取り込み等を含み取得原価と一致しないため、本文では2024年取得時の評価額としては扱っていない
- 第6・7回新株予約権は2021年12月の融資契約に紐づくことから、2022年2月のシリーズE公表時点で存続していたとみなした
- 「約119億円」は資金調達時の株式価格からの逆算(インプライドの評価額)、「約50億円」はM&A契約価格を基礎とした持分価値の単純換算で、同じ企業価値の指標ではない。優先株式には分配の優先権などの権利差があり、M&Aでは全種類の株式がまとめて取得されるため、二つの数字の差をそのまま「企業価値の下落率」と読むことはできない
- 分配順序の試算は、登記の残余財産分配条項(E種→D2種→D種→C種→A種・B種の順に優先分配後、全株式が1対1の取得比率で残余に参加する参加型)に、換算値50億円を機械的に流し込んだもの。M&A対価の配分をこの条項に従わせる取り決め(いわゆるみなし清算条項)が実際にあったかは、登記からも公開資料からも確認できない。D2種は発行されていないため分配は生じない
- 決算公告は第10期(2019年3月期)の次が第12期(2020年7月期)で、間の第11期の公告は収録できていない。剰余金の連続性から第11期の純損失は約2.15億円、また2021年7月期までに約4.9億円の欠損填補があったと推計した
- 設立(2011年6月)から移記(2024年8月26日の本店移転。登記は同年9月6日)までの資本金の増減履歴は現在の登記記録に承継されていない。決算公告からは、資本金は2019年3月期の1.40億円から2020年7月期までに1億円となったことが分かる
参考にした主な外部情報
- 山田洋太氏 note「オムロン社との資本業務提携に関して」(2024年8月6日)
このほか、オムロンのニュースリリース(2024年7月3日・2025年9月18日)と半期報告書(第89期中間期)・有価証券報告書(第89期)を参照した。iCAREの資金調達プレスリリース各回(PR TIMES)、創業者インタビュー(日本の人事部・創業手帳)も参照している。
ファクトシート
- 商号: 株式会社iCARE
- 本店: 東京都品川区西五反田二丁目29番5号
- 設立: 2011年6月14日
- 代表: 代表取締役 山田洋太
- 決算期: 3月末(2019〜2020年に3月→7月へ変更、2026年に7月→3月へ再変更)
- 主要サービス: クラウド健康管理サービス「Carely」
- 親会社: オムロン株式会社(2025年10月1日付で完全子会社化)
本文で言及した企業